まず初めに断っておくと、これから述べるのは「ワイルドアームズ フィフスヴァンガード(以下WA5)」のシナリオの核にかかわる話である。話題の都合上、ネタばれに一切配慮していないので、未クリアの方は注意願いたい。
(考える時間のための間)
――よろしいだろうか?
それでは始めよう。
WA5の結末を迎えた時、誰もが一度は考えることがある。「アヴリルのループを打破する方法はないのだろうか?」といのがそれだ。
クリアされた方ならご存知の通り、アヴリルは一万二千年の年月をほぼ(注1)永遠にループし続ける。それが彼女にとっての贖罪であり、ディーンに会えるという希望であるからだ。
それでも一部プレイヤーはエンディングに歌われた希望(注2)にすがり、二次創作から改造コードの探索まで様々な手段がとられてきた。「なぜループ打破ルートが存在しないのかッ!」という叫びが某巨大掲示板(注3)でも定期的に書かれているほどである(注4)。
しかし私は、少なくともゲーム内のシナリオにおいては、ループ打破ルートが作られないのは当然であると考えている。このゲームは周回を重ねることでアヴリルの宿命に胸を傷め、彼女の選んだ運命に涙することを狙っているから、ではない。単純に、これはもう確定されてしまった「過去の物語」であるからだ。
その説明の前に、まずは次の疑問を上げておこう。
「私たちプレイヤーは、誰の視点でこのWA5という物語を見ているのだろうか?」
普通ならば、主人公の視点だと考えるだろう。ドラクエにしろFFにしろ、プレイヤーは主人公の視線から物語の主軸を見ることになる。ワイルドアームズにおいても、ロディは典型的なプレイヤーの分身としての主人公である(注5)し、それ以降のシリーズでも主人公は自分たちの視点で物語を見ており、プレイヤーはそれに沿ってエンディングへ進んでいく。しかし、WA5では視点が少しずれているようなのだ。
その最大の理由は、ディーンを常に見つめている視線がある(注6)ことである。イベントのところどころで、ムービーは動いているディーンではなく、それを見ているレベッカを大きく映し出す。また、要所で挟まれるレベッカの日記によって話が進められている面があり、結果ディーンは主人公でありながら、物語を追う視点とイコールではなくなってしまっている。言い換えれば、私たちはディーンの視点でストーリーを追っているのではなく、レベッカの語るディーンを見つめながらゲームを進めているのである(注7)。
では、私たちはレベッカの視点でWA5のストーリーを追っているのだろうか。実はそうとも言い切れない。なぜなら、ペルセフォネの待つSect:Mで、レベッカの日記はこう語っているからだ。
でも、この時点ではまだアヴリルが言っていた
本当の『覚悟』の意味がわかってなかった。
だからこそ、その『覚悟』の意味を知った時には
あまりにも悲しくて、涙が止まらなかった。
アヴリルの『覚悟』に敵う悲しさなんて、
この世界には絶対存在しないって思ったから――
こうして私たちはアヴリルの悲恋フラグを知るのであるが、ここにひとつ問題がある。
レベッカの日記はこの時点まで、現在起こっているイベントを中心にして書いてきていた。そこで私たちは、レベッカが旅の初めに言っていた通り、彼女が旅の合間につけている日記を、レベッカの視点で覗き見するように読んでいるのだと無意識に考えている。
しかし、ここで初めて「この時点では知らない未来のこと」が明確に示唆されるのである。このことから、私たちが読んできた日記は、ゲームの中でレベッカが携えている日記とは違うものである可能性が出てくる。なぜならレベッカが真実を知るのは、アヴリルが一万二千年前に帰り、「過去のアヴリル」(以下リリティア)がこちらに現れた時だからだ。つまり、私たちが読んできたこの日記は、ループの確定後でなければ書けないものなのである。
ところで、アヴリルがディーンへの手紙の中で、リリティアにレベッカの旅日記を読ませて欲しいと頼んでいることを覚えているだろうか。もちろんディーンもレベッカもおせっかいなほどの世話好きでお人好しであるから、リリティアを輪の中に引き入れ、記憶を共有しようとすることに抵抗はなかっただろう。
しかし、リリティアもまた「アヴリル」であるとはいえ、初めて出会ったも同然の相手に、旅の間の赤裸々な日記を見せられるだろうか? ましてレベッカは、ポエムノートや日記を決して誰にも見せなかった。うっかり中を見てしまった幼馴染には、恥ずかしさの余り八つ当たりするような女の子である。
日記の中身を見せる前に、レベッカはリリティアが読んでわかりやすいよう、そして自身の黒歴史を潰すよう、書いた内容を相当編集したのではないだろうか。あるいは、日記の形式で旅を振り返った「もう一つの日記帳」を作った可能性もあると私は考えている(注8)。どちらにしろ、私たちが読んでいるのはその「もう一つ」の方なのだ。
これで、WA5の物語の中で、ディーンが主人公補正も甚だしいほどモテることも、後半の仲間たちがなぜ空気扱いになっていくかもわかるだろう。
まず旅の中でつけた日記の時点で、レベッカが注目せず、書き残さなかった大部分の情報は切り捨てられる。さらにリリティアに見せるために再編集することで、日記や記憶から起こした生々しい部分と、状況説明のために人づてに聞いたり事実として報道されたものを使ったりした部分で、語り口や描写にむらが出てくる。WA5のストーリー展開が、ところどころ唐突さやつなぎの悪さを感じさせるのも、このむらのせいだと考えれば個人的には理解できる。
では、結局、私たちはWA5のストーリーを誰の視点で見ているのだろうか。察しのいい人ならわかる通り、私は「レベッカの日記」を読むリリティアの視点でプレイヤーはストーリーを追っているのだと考える。理由の一つは、プレイヤーが読むことのできるレベッカの日記が決着後に書かれたものだけであることである。もう一つは、アヴリルに関わるシーンでのチャックの登場率の高さである。
特に思い入れがない限り、六人中一番影が薄くなってしまうキャラクターであるチャックだが、イベントを見返してみると、アヴリルにまつわる重要なシーンでやたら台詞が多いことがわかる。特にアヴリルが覚えていない過去に対してためらう時、迷う時、なぜかグレッグでもキャロルでもなく、チャックが一番に励ましの言葉をかけるのである。
もちろん、過去への執着がくどいほど何度も提示されるグレッグ(注9)や、ファルガイアに迫る危機の真相を知っている説明係のキャロルと比べて、チャックにはルシルという戦う理由(注10)以外には何もないから、出番のバランスをとるために偶然多く割り振られただけなのかもしれない。しかし私はここに、リリティアが「レベッカの日記」を基に、自分で物語をつなごうとしている意志を感じるのである。
レベッカが見せた旅の記録は、彼女なりに精いっぱい残したものだっただろう。しかし、それだけでは情報が足りなさすぎることに、聡いリリティアはすぐ気づくはずである。そうしてリリティアは「仲間」と読んでくれる彼らのことを知り、自分の置かれている立場を理解するために、旅の間のことに関してもっと多くの情報を得ようとするだろう。
そこで将来ギルド長になることが予言されているチャックは、前ジョニー・アップルシードであり惑星クラスのVIPであるリリティアと、ある意味では一番会いやすい立場ではないだろうか。そして求められれば自然自分とアヴリルのことが中心になるだろうから、チャックの出番がやたら多いのだと、そう考えられる気がするのである。
要するに話をまとめると、私たちがWA5のシナリオだと考えているものは、伝聞と推測からリリティアが組み立てた「彼らの物語」なのだと私は考えているのである。
プレイヤーと同じ視点にいるのは、冒険を体験したのではなく、話を見聞きした立場であるリリティアなのだ。考え方の幼さやシナリオ展開の強引さも、情を知らず記憶もほとんど失ったリリティアが自分なりに組み合わせた物語なのだと思えば、それなりに理解はできる。何よりそう考えれば、なぜループ打破ルートが作られなかったか、その答えが見えてくる。
ではなぜ、ゲーム内においてアヴリルをループから救うことはできないのか。それはWA5のシナリオが、リリティアが読むことを前提にした「レベッカの日記」を基にしているからである。
つまり、私たちはリリティアの視点でプレイをしていくように、既にお膳立てがされているのだ。そして同時に、残念ながらリリティアが居るということは、その時間軸ではアヴリルは過去に帰った後であるということになる。何度ゲームを繰り返そうと、ゲーム内のシナリオはすでに再編集された過去の出来事を語っているのだから、少なくともゲーム内では、アヴリルを助けることなどできるはずがないのである。
(注1)「ほぼ」と言うのは、アヴリルが繰り返し過去に戻りながら、必ずしもまったく同じことが起こっているという訳ではないことが、彼女の口から語られているからだ。そこにはいつか、アヴリルが過去に戻ることがなく(戻ることができず)、ディーンたちと同じ未来へ進めるかもしれないというかすかな希望があるのである。
(注2)エンディング曲「Crystal Letter」の歌詞「螺旋解くあなたの魂【こえ】/強く抱きしめて」を、いつかループが終わることへの示唆だとする解釈がある。
(注3)ちなみに特定のテーマに縛られないWAファンの交流所としては、おそらく一番活発であるところが何とも物悲しい。
(注4)そもそもループ設定は原作のシナリオになく、後でライタースタッフが付け加えた設定であるため、賛否両論であるところもある。
(注5)誠実で誰にでも愛され、しかし強大な力を持つために誰からも忌まれてきた少年は、プレイヤーにとって簡単に同一化しやすい存在である。だからこそ、彼の正体がわかってしまった時の衝撃は著しい。他にも主人公の仮名を「銃士B」とするなど、初期のシリーズにはゲーム等のお約束を逆手にとった細かな演出がなされている。
(注6)一か所をのぞいて、ディーンは胸の内の独白というものをしておらず、自分の考えや感情を全て外に表している。他のキャラクターならば括弧書きで処理されるところを、表情の変化やそれをきっかけとした会話の発生で、声に出して誰かに聴かせるようになっている。それもまた、ディーンに感情移入ではなく観察という視点を持たせているように考えられる。
(注7)WA5が批判させる理由の一つに、ディーンがリーダー格の主人公としてあまり魅力を感じられないのに、周囲が持ち上げすぎていて受け入れられない、というものがある。しかしそもそもレベッカの日記がストーリーを進めている時点で、ディーンを大好きなレベッカのバイアスが強烈にかかっているのだから、主人公補正が強すぎるのも当然かもしれない。
(注8)とはいえ、その結果があの痛く生々しい内容なのだとしたら、レベッカは相当思い切って自分の内面をリリティアに見せたと言えるだろう。
(注9)回想を繰り返すのは別にいいが、カルティケヤ登場後はもういらないだろうと思うのだ。グレッグを見送るジョセフの台詞を聞くたびに「いや、そこもう聞いたからやんなくていいよ……」と思ったのは私だけではあるまい。
(注10)幼馴染との恋と破局、という点でレベッカと対照的な立場であるチャックは、実は後半三人の中で唯一「レベッカの日記」に記されていることがわかっている。他にも平均スペックが一番高い、戦闘不能になった時の動きが一番派手、などなど細かいところでやたら優遇されているのに、プレイすると空気扱いなのがチャックというキャラクターである。
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読了ありがとうございました。
大学のサークル有志でやっている文芸誌に投稿したものです。
1晩クオリティで仕上げて提出したら、〆切を1日早く勘違いしていたというオチがw
おかげで論としては強行もいいところなのですが、書くのはものすごく楽しかったですwww
もう2年近く形にしたかったものですからね。
こういうネタは他にもまだあるのですが、レポート系が苦手なのでつい避けてしまいます(汗)